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そうです 私がモーツァルトです







クラシック音楽のCDを聴いて感動するとして、
その感動は主に何に対して感じているのだろうか?
同じ曲でも演奏の違いによって感動する場合とそうでもない場合がある。
一方、よっぽどでない限りどんな演奏でも感動すると思えるほど好きな曲、というのもある。
例えば、感動の内訳は曲そのもの7割・演奏3割 みたいに単純に画定できるものだろうか?
感動の種類分けという事ができるものだろうか。

演奏家にとって、会心の演奏とは「曲自体になりきる」ような状況なのかもしれない。
それは作曲家の心境や思惑を演じたりだとか、トランス的な没入状態、というのとは少し違って、
なんかこう禅的な、主客一致の境地というか、そのようなものではないか・・・
私は何も演奏出来ず聴くだけなのだが、そんなふうに想像している。

同じく、作曲家にとっても会心の作曲とは「音楽の神自体になりきる」事と言えるかもしれない。
音楽が最高の状態で再生されている状況というのは、
聴衆が演奏者と一体化し、演奏者は作曲家と一体化し、作曲家は神と一体化している、
音楽を通して万物一如の状態が達せられている状況なのかも、と思っている。

(だがここで注意しないといけないのは、上で述べたような事は
「音楽で皆わかり合う、世界がつながる、平和になる」
的なヒッピーぽい思想とは、似ているようで決定的に違うということだ。
音楽による感動は、幻想の世界や、思い出や、死者や、宇宙の果てと繋がっているかも知れないが、
生きてる関係ない人の行動を変えることはできないのだ。)




2018/02/02(金) 15:37 PERMALINK
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