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全集・日本吹込み事始







前回、雅楽が長い時間の中で変化してきたこと、
楽曲のなかにその痕跡がたくさん見られて面白いことを書いた。

そのような視点で聴いてみると、このCDに含まれている1903年の録音
(イギリスの録音技師ガイスバーグによるもの)は大変興味深い。

今から100年以上前の録音だが、この時点ですでに
前回指摘したような変化(旋律の変化:陰音階化等)は起こっていたことがわかる。
全体的には今日われわれが聴ける雅楽と同じ音楽と認識することができるだろう。

だが、明らかに一つ現在と違うと分かるのは、そのテンポの速さだ。
これはいろいろな研究の結果、吹込み時間の制限に合わせて
無理やり速く演奏したわけではないようだということが分かっている。
こんにちの雅楽を聴き慣れた耳からすると、かなりせかせかして聴こえる。

こののち、国家に付随する音楽としての権威を高めるために、当時の当局の意向のもとに
威厳を高めるようなゆっくりした演奏が主流になっていった、というような事があるのかもしれない。

メロディの認識はテンポが遅いほど難しくなるので、「雅楽はどの曲を聴いても同じ」
という感想があるように、各曲の個性は薄まっていったかもしれない。
だがその分さらにフレージング等の細部への拘りが増え、世界に類をみない音響である
現在の雅楽の演奏スタイルが生まれたと考える事もできる。

おそらく平安時代など雅楽黎明期には今よりかなり早い速度で演奏されていたのだろうし、
その演奏法の復元の試みなども各教育機関・演奏者などによってなされていて大変興味深いのだが、
そういったものの中に、現在の雅楽の演奏法を「正しくないもの」として、
研究の結果浮かび上がった昔の演奏法を「正しい」とするような見解が散見されるのは残念だ。

クラシック音楽における古楽奏法が流行しだした時なども同じだったのだろうが、
様々な要素の混入や偶然の変化を積み重ねてきた文化のなかから、その根源にあるものだけが正しいとして
現在の歪められた姿を元に戻さないといけない、というような考えは視野が狭いと言わざるを得ない。
本邦における明治維新時の神仏分離令など、その最たる例である。(政治的に仕方ない部分もあったのかもしれないが)

失われた昔の姿について想像力を持つのは良いことだし、ロマンもあるが、
今の姿について否定を始めてしまうと、結局はその歴史全体を否定することにつながってしまうと思う。


2018/06/15(金) 11:52 PERMALINK
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