古式 相撲の節会








タイトルの通り、王朝時代の天覧相撲において、
演奏されていたという記録がある舞楽をセレクトしたアルバム。

現在でも大相撲は東と西に分かれて取組をしているが、
当時からそうだったようで、東が勝った際には唐楽を、
西が勝った際には高麗楽を演奏していたらしい。

そのようなわけで、雅楽における舞楽の有名な曲も
東西まんべんなく含まれていて舞楽選集としての価値も高い。
さらに注目なのが、他のCDではお目にかかったことのないような
「散手」「狛鉾」「剱気褌脱」「新靺鞨」といった楽曲の存在。

レア曲が同時に含まれているベスト盤、的な趣で楽しめるCDだ。



(Amazonでは現在取り扱いがないようだが、図書館などではたまに見るので探してみてほしい。)

2018/07/12(木) 16:30 PERMALINK
雅楽(宮内庁楽部)








今回も前回と同じく宮内庁楽部による有名曲を集めたCDの紹介だが、
演奏の傾向は前回とかなり異なっている。

前回のCDは雅楽におけるアンビエント的な側面がフォーカスされていたが、
このCDにおいてはそれとは逆方向というのか、
激しいわけではないのだが、バンド風な生々しさがあって面白い。

比較的テンポが早めであること、
残響の少ないデッドな音響の録音であること、
各楽器の奏者がおそらく一人ずつであること、などの条件から
なんだかギターバンド風な印象が出ているのかもしれない。

鞨鼓はトトトト・・・という感じではなくカッカッカッカッ!!!!と叩きまくっているし、
琵琶もボロロン・・・ではなくバッチーーン!!!!とテレキャスターみたいに弾いている。
もしかすると、今の若者にはこういう感じの方が親しみやすく
雅楽入門に向いているかもしれない。

雅楽器の中で陰音階化していない絃楽器の音がでかいので
聴き慣れた曲でも何かモダンな感じに聴こえる。

同じ宮内庁楽部の演奏だが、今回のCD(60年代録音)の方が
前回のアンビエント的なCD(70年代録音)より早い時期なので、
その10年間ほどのあいだに演奏傾向の変化があったのだろうか?
もちろん楽曲・録音条件・企画自体の違いなどもあるだろうが・・・

なんとなく、1903年のガイズバーグ録音の面影を感じられる演奏だ。
2018/07/08(日) 15:54 PERMALINK
雅楽名曲集







日本の風物であったり文学・音楽の特徴として、
四季の変化との強い結びつきが挙げられると思うが、
雅楽ももちろんその例外ではない。

雅楽においては、各々の楽曲の属する音楽上の基調として、
壱越調
平調
双調
黄鐘調
盤渉調
太食調
の6つの「調子」がある。

この「調子」、西洋音楽でいうところのキー(ハ長調とかイ短調というような)と同じような
概念として理解すれば良いと思うのだが、それと大きく異なるところは
それぞれの調子が、特定の季節や方角・時間などと結び付けられているところだ。

西洋音楽においても、ハ短調は悲劇的とか、変ホ長調は英雄的というような
イメージが各調にあると言えないこともないが、
移調したときにもちゃんとその曲はその曲だとわかる。
平均律のおかげで、移調しても曲のなかでの音高の関係は変わらないからだ。

雅楽においては、移調(「渡物」と呼ぶ)することによって
曲のメロディー自体が変化してしまう。
理由は楽器自体の制限によるところが大きい。
篳篥などは1オクターブと少しの音域しか出せないし、
龍笛では西洋の12音階でいうなら安定して出せるのは5音のみで、
その他の音は変化しやすい不安定な音階として表現される。

それはともかく、そのような制限の結果として
各調子に特有の旋律や流れが生まれることとなり、
それぞれのカラーが存在するわけだ。
昔の人はそれを、身近な季節の表現に当てはめたのだろう。

さきほどの六調子においては、
壱越調=土用
平調=秋
双調=春
黄鐘調=夏
盤渉調=冬
という割当てがなされている。(太食調は実質的に平調とほとんど同じ。)

だが、実際に現在よく演奏される雅楽曲では、
壱越調と平調がずば抜けて多く、その次に盤渉調が来るという感じで、
黄鐘調や双調の楽曲は目に見えて少ない。

ここでようやく今回のCDのレビューに入るのだが、
こちらの録音では、その滅多に見ない双調の曲がたくさん含まれているのが聴き所。
演奏は雅楽の原点にして頂点の宮内庁楽部。悪いはずがない。
構成は前半が双調の曲、後半が平調の曲という春秋セレクトだ。
テンポの早い曲が含まれていないことも相まって、
たゆたうようなまったりした空間が大変心地よい。
雅楽の大きな一面である、アンビエント的な部分がフォーカスされたCDといえる。

まさに「春のやよいのあけぼのに・・・」といったところか。
後半の平調の曲のなかには、定番曲である越天楽や陪臚も含まれている。
BGMにしても良いし、聴き込んでも発見があるし、雅楽入門用にも最適だと思う。

ところで、Amazonで見つけやすいこちらのCD↓
https://www.amazon.co.jp/dp/B0007WZYB6/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_FsjnBb0W3BE19

これは、今回紹介したCDから「甘州」だけを抜いた同一音源のものである。
(なんで抜いてるのかは不明)
今回紹介したCDの方が一曲分多くてお得である。

2018/06/28(木) 16:22 PERMALINK
日本古代歌謡の世界








王朝の昔に中国大陸・朝鮮半島から伝わり、
それが長い期間を日本ナイズにさらされることによって
独特の異形な風貌を見せることになった雅楽であるが、
それらの器楽曲の伝来以前に、日本には独自の歌謡音楽が存在した。
今日では、外来音楽とともに宮中で伝承されることとなった
それらの古代歌謡もひとまとめにして「雅楽」と呼称されている。

今回紹介するのは、そういった「雅楽の歌モノ」を集めたアルバム。
といっても、管絃舞楽で主役となるような楽器はほとんど入っていないので、
大変地味な響きの、呪文のような歌が延々と続く。

だがこれが慣れてくるとクセになります。
『神楽歌』や『倭歌』などの、宮中の儀式でしか演奏されることのない
非常に貴重な曲たちなのだが、やはり儀式においては
華美な技巧よりも、シンプルな陶酔性が重要なのだろうか。
歌詞自体が現在も解読不能の「阿知女作法」なども、
もはや永久に失われた古代の闇を連想させる。

単調な旋律の中にも、その後の邦楽において支配的な位置を占める
都節音階的なもの(半音下降で核音に解決する)への傾斜が見られる。
管絃の主旋律においてもこの傾向があるが、歌謡においてのこれは
伝承の間に管絃からの影響があったのか、
もともと日本のうたの中にあるものなのか、
考察しても分からないが、面白い。

その中でも、現在の静岡あたりの地方で歌われていた民衆歌を
宮中に取り入れた『東遊』はその他と傾向が少し違って、
旋律のなかに半音下降で「核音の全音上の音」に解決する音も多い。
結果的にジャズなどでいうところのブルーノートを連想させる。
これは聴いてみるとすぐわかるのだが、すごく他と雰囲気が違って
楽しげというか、奥に篭っていく感じではない歌だ。

今で言う流行曲のような、『催馬楽』『朗詠』なども入って
全4枚組の大ボリュームなのだが、東京楽所の素晴らしい演奏もあいまって
私はとても楽しく聴けた。朝、陽が昇る前とかに聞くと雰囲気がすごく良いです。

いつの間にか一緒に口ずさんでいて、神々の世界へと・・・


2018/06/23(土) 13:56 PERMALINK
雅楽・舞楽の世界








宮内庁楽部の楽人を中心に組織された雅楽演奏団体「東京楽所」による、
舞を伴う雅楽曲を集めて構成されたアルバム。

CDなのでもちろん舞を見ることはできないが、洗練された演奏で音楽自体をじっくり楽しめる。
一曲目の篳篥の退吹(おめりぶき・西洋音楽でいうカノンのように次々と前の後を追って吹く)
からして圧巻。深い山に分け入って、互いに呼び合う木霊の声を聴くようだ。

出手・入手(入場・退場の音楽)もきちんと含まれていて、
そこで聞かれる大太鼓の超重低音の迫力ある音は、
舞を堪能するために集まってきた神々の足音のようにも感じられる。

舞は神事における奉納の意味合いも大きいと思うが、このCDを聴きながら、
人やけものと共に舞い踊る神々の姿を想像するのも、至福の時間となるだろう。

管弦ものは含まれていないが、舞楽の中では蘭陵王・納曽利といった有名曲がだいたい含まれており、
空間を感じさせる録音も大変すばらしいので、雅楽自体への入門用にも最適と思う。
2018/06/18(月) 16:05 PERMALINK
全集・日本吹込み事始







前回、雅楽が長い時間の中で変化してきたこと、
楽曲のなかにその痕跡がたくさん見られて面白いことを書いた。

そのような視点で聴いてみると、このCDに含まれている1903年の録音
(イギリスの録音技師ガイスバーグによるもの)は大変興味深い。

今から100年以上前の録音だが、この時点ですでに
前回指摘したような変化(旋律の変化:陰音階化等)は起こっていたことがわかる。
全体的には今日われわれが聴ける雅楽と同じ音楽と認識することができるだろう。

だが、明らかに一つ現在と違うと分かるのは、そのテンポの速さだ。
これはいろいろな研究の結果、吹込み時間の制限に合わせて
無理やり速く演奏したわけではないようだということが分かっている。
こんにちの雅楽を聴き慣れた耳からすると、かなりせかせかして聴こえる。

こののち、国家に付随する音楽としての権威を高めるために、当時の当局の意向のもとに
威厳を高めるようなゆっくりした演奏が主流になっていった、というような事があるのかもしれない。

メロディの認識はテンポが遅いほど難しくなるので、「雅楽はどの曲を聴いても同じ」
という感想があるように、各曲の個性は薄まっていったかもしれない。
だがその分さらにフレージング等の細部への拘りが増え、世界に類をみない音響である
現在の雅楽の演奏スタイルが生まれたと考える事もできる。

おそらく平安時代など雅楽黎明期には今よりかなり早い速度で演奏されていたのだろうし、
その演奏法の復元の試みなども各教育機関・演奏者などによってなされていて大変興味深いのだが、
そういったものの中に、現在の雅楽の演奏法を「正しくないもの」として、
研究の結果浮かび上がった昔の演奏法を「正しい」とするような見解が散見されるのは残念だ。

クラシック音楽における古楽奏法が流行しだした時なども同じだったのだろうが、
様々な要素の混入や偶然の変化を積み重ねてきた文化のなかから、その根源にあるものだけが正しいとして
現在の歪められた姿を元に戻さないといけない、というような考えは視野が狭いと言わざるを得ない。
本邦における明治維新時の神仏分離令など、その最たる例である。(政治的に仕方ない部分もあったのかもしれないが)

失われた昔の姿について想像力を持つのは良いことだし、ロマンもあるが、
今の姿について否定を始めてしまうと、結局はその歴史全体を否定することにつながってしまうと思う。


2018/06/15(金) 11:52 PERMALINK